歴史上で希代の偉業を果たしながら、時代の流れによって闇に葬られてしまった支倉常長。
地元仙台では、伊達政宗の次に人気の歴史的ヒーローです。
支倉常長は、慶長18年(1613年)、藩主伊達政宗の命をうけ、サン・ファン・ヴァウティスタ号という木造船に乗り、メキシコのアカプルコ経由でローマへと渡り、ローマ法皇に謁見しました。
ところが7年後、彼が帰国した時、幕府の政策は鎖国そしてキリシタン禁教になっていたのです。
現在、支倉常長の墓といわれるものは宮城県内に3ヵ所存在します。
仙台市北山にある光明寺説。
支倉常長の生まれ故郷とも言える川崎町支倉地区の円福寺説。
そしてこの大郷町説の3つです。
◇支倉常長メモリアルパークへのアクセス
JR東北本線松島駅からタクシーで20分